昨年の10月、ひょんなことから友人の飼い犬を2日間預かることになった。「祭ちゃん(メス)」という名の雑種はあまり人に懐かない老犬である。以前友人が仕事でどうしても面倒を見られずにペットショップに預けたら、祭ちゃんは一晩中ギャン泣きして手が付けられない程の大暴れだったらしい。今回もまた外せない都合で祭ちゃんのお世話ができない状況なのだが、そんなこともあって友人はショップに預けることをためらい、ボクに連絡を寄こしたようなのだ。なぜボクに白羽の矢が立ったのかというと、ボクは祭ちゃんとは何度か会ったことがあるのだが、なぜかボクに対しては威嚇することはなく、ボクが頭を撫でようとすると気構えずに自らの頭を突き出してくれるのであった。友人に言わせると、そんなこと他の人には絶対にしないということである。祭ちゃんから見ると、ボクは人畜無害の中年男に映ったのかもしれない。彼女の年は13歳くらいというから人間でいうと70歳以上か。犬とはいえ酸いも甘いも噛み分けた年齢である。ボクのような若僧のお相手は、「好意的に」というよりは「どうでもいい」とういう意思表示のようであった。
預かる1週間前に友人が祭ちゃんを自宅へ連れてきてスクリーニングを行った。玄関の脇にトイレを設置して、持参したドッグフードの与え方も教えてもらったのである。祭ちゃんはこんな奴のところに預けられるのかと悟ったような様子でボクに一瞥をくれた。ボクは心の裏側まで見透かされているような気がして、この老犬の洞察力にハッとさせられたのである。
そして1週間後、土曜日の午後に友人が祭ちゃんを連れてきた。スクリーニングの効果もあってか、彼女は入室するやソファに飛び乗って丸くなったのである。リラックスしているようだ。ボクが頭を撫でると目をつぶってじっとしているではないか。おお、大丈夫だ。君となら一緒にやっていけるさ。ボクはそう独り言ちてすっかり悦に入ったのであった。

翌朝、祭ちゃんとウォーキングに行こうと思い、散歩用のリードを用意して糞の片付けに使うトングとビニール袋を持って家を出た。1キロ先の公園までの道すがら意気揚々としばらく歩いていたら、途中で犬を忘れてきたことに気が付いたのだ。
バカである。
さっきすれ違った農夫がボクのことをじろじろ見ていたのは、ボクがリードやビニール袋を持って一人で歩いていたから不審者と思われたのかもしれぬ。慌てて自宅へ戻ると、祭ちゃんはクッションに横たわったまま、息を切らしているボクを見ていた。冷めた視線が突き刺さるように痛い。祭ちゃんは全てお見通しで、ボクに「しっかりしろよ」と投げかけてから大欠伸をしたのであった。
日曜日の夕方、友人が迎えに来てくれて、祭ちゃんはさすがに嬉しそうにそそくさと部屋を出て行った。彼女は帰り際に一度だけ立ち止まってボクを見て鼻先を上下に振ったのである。何か言いたげだったけど、ボクには真意は分からなかった。
1泊2日の短期間ではあったが、ボクにとっては深く人情(犬情?)の機微に触れられた貴重な時間を過ごすことができたのである。
 
昨日、友人のnoteで祭ちゃんが死んだことを知った。友人が祭ちゃんを引き取った経緯も詳細に記されていて驚いたのである。
祭ちゃんは被災犬であった。あの老いてもなお眼光炯炯として、どこか達観した佇まいは震災で家も飼い主も失った苦い経験によるものなのだろうか。
ボクはなんだか気が遠くなってしまった。
いま思い返すと、あの日最後に祭ちゃんはボクを見て「がんばれよ」と言ってくれたような気がする。人生のパイセンがボクの背中を押してくれているのである。
祭ちゃん、最期まで野生を失わない立派な犬であった。天国で元の飼い主さんに会えたであろうか。安らかに。
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【祭ちゃん(友人提供)】