ここ数年は決まった床屋さんに通っている。久々に居心地のいいリラックスできる床屋を見つけたのである。元々は知人から息子さんが理容師になってその店に就職したので、行ってやってくれと頼まれたのがきっかけであった。ところが息子さんは下仕事の多さと長時間の拘束に耐えられないと、わずか半年足らずで店を辞めてしまったのだ。ボクは一度も彼に散髪されることなく、今生の別れとなってしまったのである。
それでもボクはその店に通い続けている。いつも予約して行くと、たぶん店の方針なのだろうが、複数いる理容師さんのうち2人の理容師が交互に担当してくれるのだ。その店は系列店があって時々異動で人が入れ替わるのだが、その若き2人の理容師はずっと変わらずボクの髪を切り続けてくれているのである。先日行ったときは、前回がAさんだったので今回はBさんかなと思いながら入店すると、今回もAさんがボクを案内してくれた。2回続けて同じ理容師さんに当たるのは初めてだ。見渡すとBさんも店内にいて他の客の髪を切りながら、ボクに「いらっしゃいませ!」と声を掛けてくれた。あれ、おかしいな、ボクの勘違いかなと思いながらも、その時はあまり気に掛けないで着席しAさんと他愛もない話を始めたのであった。
散髪が終了して会計を済ませると、いつものようにAさんは店の外まで見送りに出てきてくれた。ボクは見送られるのが照れくさくて「じゃ、また!」と言って歩き始める。そのときAさんが「白石さん、6年間ありがとうございました」と言ってペコリと頭を下げたのである。彼は今月いっぱいで退社すると、それだけを言い残して相好を崩した。そうか、そういうことだったのか。彼は以前、いつか自分の店を持ちたいと夢を語ってくれたことがあった。でもその時にお店のお客さんを連れて行くのは、自分を育ててくれた会社に対して不義理だとも言っていたのを思い出したのである。氷解した。多くを語らないAさん、かっこいいと思った。
清々しい別れである。
ボクはいつかきっとこの青年のお店を探し出して、シレっと訪ねてみようと誓ったのであった。ただし、それまでボクの髪が持てばの話なのだが。トホホ。
 
その日ボクはある用事で韮崎駅にいた。少し早く着いてしまったので暖房の効いた待合室で時間つぶししていたら、ボクの相向かいのベンチに母娘と思われる2人の女性が座っていたのだ。娘は淡いピンクのコートに身を包み、さっきから一心不乱にスマホを操作している。ハーフアップしたヘアスタイルは韮崎の商店街では決して見かけない、まるでキャバ嬢のようだ。対して母親は白髪交じりの髪を垂らして、何度も腕時計に目を遣っては落ち着かない様子であった。じきに電車の到着するアナウンスが流れると、ボクと母娘はほぼ同時に立ち上がったのである。ボクが引き戸を開けて二人に先に出るよう促すと、娘はボクの前を素通りして行き、母親はボクに「すみません」と小声で言って待合室を出た。改札の手前で母親は娘に何か話しかけたけど、娘は反応せずにスマホを自動改札機にタッチして構内に入っていったのである。母親は娘の背中が小さくなるまでずっと見ていたが、娘は一度も振り返らずにコンコースへと消えていってしまった。
事情は全く分からない。でも、ものすごく嫌な別れを目撃してしまい、ボクはなんだか居た堪れなくなってしまったのである。
 
別れはいつだって「出ていく者」よりも「そこに残る者」の方が何十倍も寂しいものである。ただしそのことに気付くのは大人になってからなのだ。ボクはあの母親の立ちすくむ姿を見て、娘さんがいつか母親の気持ちに思いを馳せてくれたらいいなと願ったのであった。
IMG_2211
【春にピッタリのサクラビール やっぱりビールはサッポロ推しだ】